| 仕事が肌に合わず転職活動をしていたが、2003年8月15日に次の職場が決まった。働き始めるのは来年の4月からだったので、転職期間を利用して300名山とアコンカグアに挑戦する計画を立てて心を時めかせる。気力・体力共に充実しているこの年齢で、縛られた生活から完全に解放されるのはおそらく一生に一度のチャンス。もうやりたい事を思いっきりやるしかないでしょう。10月半ばに退社して5ヶ月間の自由が始まった。〔山行記録参照〕 【序 章】
朝日連峰縦走4座 (10/26〜10/28) 【1 章】 九州地方22座完登 (11/3〜11/15) 【2 章】 四国地方9座完登
(11/16〜11/20) 【3 章】 中国地方8座完登 (11/21〜11/24) 【4 章】 海外遠征(アコンカグア)は高山病で敗退 【5 章】 近畿地方14座
(1/8〜1/19) 【6 章】 北陸地方10座 (1/20〜2/4) 【7 章】 東北地方20座
(2/5〜3/2) 【終 章】 上信越地方13座 (3/5〜3/17) 車中泊しながら、天候の許す限り毎日登山・観光・風呂探し&食事・移動・HP作成、そして爆睡・・・。忙しくも充実した日々だった。3月までに訪れた山は101座、撮った写真は5.500枚に上った。 |
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【 序 章 】 朝日連峰縦走 (10/26〜10/28) |
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| ピラミダルな大朝日岳 |
以東岳を目指して |
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忙しいサラリーマン生活を終えた直後で精神疲労している私を迎えてくれたのは、 紅葉只中の朝日連峰だった。初日は祝瓶山の頂上でテントを張った。翌朝、遠くに見えた米沢の街は眩い朝日を受けて眠っているように見えるが、人々はいつものように仕事を開始しているのだ。今の自分の立場は何だ?振り向けば大朝日から以東岳に続く大山脈が雄大なスケールで広がっている。さあ飛び込もう、遥かなる縦走路へ。5ヶ月間の自由な山旅の始まりだ。〔朝日連峰大縦走の記録へ〕 |
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1 章 】 九州地方 (11/3〜11/15) |
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| 雲仙岳より平成新山 |
宮之浦岳より永田岳 |
| ペーパードライバーの私が中古車を購入して、山を求めて高速道路や山奥の凸凹林道を乗り回した。何度も雨に泣かされたが、憧れの霧島や宮之浦岳では快晴に恵まれた。運転は緊張の連続だったが、佐多岬まで行ったりして秋の九州を謳歌した。1日も無駄にするまいと思っての韋駄天登山が多い中、一番大変だったのは毎日の風呂探しだった気がする。嬉野温泉、湯布院温泉、日之影温泉・・・。火の国九州は旅情で一杯になった。 |
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2章 】 四国地方 (11/16〜11/20) |
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| 瓶ヶ森より石鎚山 |
伊予富士より石鎚山脈 |
| 別府から佐田岬へフェリーで移動して四国の山々に向かう。会社員時代のことを思うと、自由な旅をしている自分が夢のようだ。西日本最高峰の石鎚山を始めとする石鎚山系の山々は快晴に恵まれて素晴らしく、陽に輝く土佐湾や別子銅山跡などは特に印象深かった。雨に降られた剣山を下りた後、瀬戸大橋を通って故郷中国地方に渡った。 瀬戸大橋には開通した年に家族旅行で通ったが、あの時はまだ小学3年生だった。あれから15年が過ぎた。15年とは早いものだ。僕はこれからどう生きようか。今大切だと思うことは、金では買えない経験である。人は経験するために生きているのだ。だから、今を精一杯楽しもう。この瞬間、毎日の感動が今後生きて行く上での糧となるはずだ。 |
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3 章 】 中国地方 (11/21〜11/24) |
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| 雪化粧した伯耆大山 |
中国地方最後の三瓶山 |
| 浜坂町にある加藤文太郎記念図書館を訪れた時、初冬の山陰の寂しさにやるきれなさを覚えた。降雪直後の大山ではナイフリッジの稜線に恐怖したが、中国地方では群を抜く名峰だけに手応え十分だった。だが大山以外ではこれといった山が無く、生まれ育った中国地方だけに残念だった。しかし九州・四国・中国と渡り歩いた22日間は充実感に満ちており、アコンカグアに向けての自信となったのは確かである。 |
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4 章 】 海外遠征 南米アコンカグア 〔敗退〕 |
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| 遥かなる山頂は、約7000m! |
夢には届かず夢となる |
| 初めての飛行機、初めての海外、初めての高度。高山病には気をつけていたのにその自覚症状が無く、せめてBCまではと無理をしてしまった。あの時途中でテントを張って体力の回復を図っていれば、あの時BCで自力でテントを張っていれば、あの時チリ達人と一緒に南壁に寄り道をして高度に慣らしていれば・・・。下山後、ペニテンテスのホテルでは憂鬱だった。地球の反対側まで行き圧倒的な山を目にしたこと、旅で多くの人と触れあえたこと、ニューヨークに飽きるほど滞在したことなど、全てかけがえの無い経験だったが、アコンカグアは技術無くして登れる世界一高い山である。チャンスを逃した悔いは大きい。以来アコンカグアは生涯目標の一つになっている。〔敗退&旅行記へ〕 |
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5 章 】 近畿地方 (1/8〜1/19) |
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| 奥高野の伯母子岳にて |
冬の大台ケ原 |
| 近畿の山奥深くに入り込む。宗教色の濃い地域であり、高野山・比叡山を始めとする寺社や城・遺跡は多く観光三昧だった。快晴続きで雪もまだ少なく、山と観光に充実&安定した毎日を送ることが出来た。 |
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6 章 】 北陸地方 (1/20〜2/4) |
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| 厳冬期 金剛堂山 |
野伏ヶ岳にて 背後は白山 |
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荒島岳から始まった豪雪北陸の14座では、スノーシューによる猛ラッセルを連日繰り返す。ホワイトアウトも経験し、果敢な挑戦の日々が続いた。下準備でネットを見ていて知った山スキーは今後やってみたい分野である。初めて触れた北国の生活は新鮮で、八尾町で知った民謡“越中おわら節”の哀調は心に響くものがあった。 |
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7 章 】 東北地方 (2/5〜3/2) |
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| 西吾妻連峰 西大巓 |
姫神山より岩手山 |
| 陸奥の山旅では、連日の孤独なラッセルに何度も挫けそうになった。顔を歪めて猛ラッセルに耐えながら頂上を目指しているとホワイトアウトに遭遇し、1人乳白色の世界に佇んで途方に呉れたこともある。投げ出したくなり文句を言ってみても誰も助けに来ては呉れなかった。自力本願・完全自己責任の厳しい世界だった。しかし、晴れると素晴らしい白銀世界が広がっていた。特に強く印象に残っているのは西吾妻、蔵王、乳頭、八甲田である。 停滞日が増え、深々と降り続ける雪や永遠に止みそうにない吹雪を車内から眺めながら何日も過ごした。極寒の車中泊が続いた。しかしテンションが下がったことは無い。夢中になれる確かなものがここにはあった。
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【 終 章 】 上信越地方 (3/5〜3/17) |
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| ホワイトアウト 二王子岳 |
久々の快晴 越後の浅草岳 |
| 何度ホワイトアウトに見舞われたことか。本気でやばいと思った二王子岳では完全に前後不覚に陥り、知らない谷を下ってしまった。谷底まで下りると目の前には水量豊富な沢が轟々と音を立て、複雑に入り組んで流れていた・・・危機を脱して車に辿り着いた時にはすっかり日が暮れており、精神的にも限界に近かった。 3月10日、待望の快晴(残雪期)が到来する。浅草岳山頂ではキーンと耳が鳴りそうなほどの快晴だった。何という世界だ!白銀に輝く山々がどこまでも連なり、眼下には田子倉湖が神秘的に湛えている。これは汗を流してスケールの大きな自然の懐に入らなければ見ることの出来ない世界である。
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| 永井さんと登った黒姫山 |
南尾根より雨飾山へ |
| ネットを通じて応援して下さった永井さんに黒姫山をご一緒させて貰う。その前日は一晩ご自宅でお世話になったが、大先輩からの暖かいもてなしは孤独な山旅の中では嬉しくて、忘れられない一日となった。その翌日、バリエーションルートから挑んだ雨飾山では、このまま山頂の時間を永久保存したいほど清浄な感覚を味わった。いつまでもこうしていたい・・・気分は最高にHighだった。下山後ボーっとしてしまったが、次の日にもっと凄い山(焼山)が待っていた。 |
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| 北面台地から焼山へ |
“私の一名山” 新潟焼山 |
| 焼山がこんなに凄い山だとは思っても見なかった。山スキーの聖地と呼ばれる北面台地は身震いするほどの感動を呼び、言葉では表現し難い。北面台地から眺められる火打〜焼山の絶景は外界から完全に遮断されているため、苦労して登って来た者にしか見ることが出来ない世界である。現代日本に残された桃源郷と言えよう。登山禁止中であるため、本に詳しく載っているのを見たことはないが、私の知る限りにおいて国内最高の別天地である。いつかこの斜面を山スキーで滑ってみたいものだ。焼山よ、最高の思い出を有難う〔焼山の記録へ〕。 |
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| 旅の最後 青海黒姫山 |
旅の最後 山頂の憩い |
| 青海黒姫山の山頂を前にして万感の思いだった。今日もピークへと向かうが、これが山旅の終止符だ。思い返せば変化と刺激を求めて止まない山旅だった。登頂の達成感と爽快感は勿論のこと、国土の形・山の鉱物・植物等の地理学的な興味も尽きず、常にフレッシュな気持ちでやって来れた。数人の方から励ましのメールを頂いたが、孤独な旅では心の大きな支えとなり、雪山に向かって行く力になった。山頂で涙し、暖かい風に吹かれてながら下って旅の終わりを実感した。 |
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5ヶ月間ではあるが、やりたい事に打ち込んだこの山旅は厖大な想い出を残してくれた。1日として鮮明に思い出されないような平凡な日は無く、刺激的で心から自由を謳歌した日々だった。体力的にも精神的にも精一杯に生きたこの山旅は、生涯を通じて影響を与え続けると思う。 |